『本当の村八分』よりも陰湿な天理市の事件と、戦後の村八分事件。
前提として、『村八分』という言葉は、現在、放送自粛対象とされている。
故に、今回の報道で、各社がこのワードを見出しに据えている事に驚いた。
そして、天理市で行われている事は、本当の村八分とも異なっている。
イメージしやすいように選ばれた言葉なのだろうが、本当の村八分とは、もう少し合理的な、理由のあるものだ。
天理市のものは、どちらかというと『いじめ』の類い。陰湿な、唾棄すべき行為である。
弁護士会が人権侵害と認定した、天理市の村八分。
舞台は奈良県天理市。自治会の構成員となる資格について、地元神社の氏子に限定しているのは「不合理な差別的取扱いで人権侵害にあたる」として、奈良県弁護士会が天理市内の自治会に対して是正勧告を出した(8月27日付)。弁護士会が9月11日に発表した。
夫妻は地域に転入してきた1992年以降、自治会費にあたる協議費(年1万3500円)を自治会に払い続けてきた。
ところが、自治会は夫妻が集会や神社の祭りなどに参加することを認めず、市の広報誌や回覧板も届けなかった。
全く孤立した状況に置かれ続けてきたという。(夫妻は土地を購入し、建物を新築した上で転入)
こうした扱いに疑問を膨らませ、2012年に夫妻は協議費を払うのをやめた。
翌2013年に夫妻の母が亡くなり自宅で営んだ葬儀には、自治会の役員をはじめ周囲の住民が来ることもなかったという。
2017年、既に払い済みである協議費の返還と慰謝料の支払いを求めたが拒まれたため、弁護士会に対して人権救済を申し立てるに至った。
地域には235世帯があり、自治会に所属しているのは52世帯で自治会の構成員として認めていない世帯が183世帯もある。
52世帯は、「昔から地域に住んでいて神社の氏子である世帯」だという。
弁護士会は、その地域に住所があるすべての人に構成員となる資格を与えず、加入資格を限定していること自体が「許されない差別的取扱い」とし、長年にわたる慣例であったとしても「不合理な差別的取扱いで人権侵害にあたる」と指摘した。
(引用元 https://kininaru-saishin-news.com/archives/9905)
今回の件は『村八分』と報道されているが、この件をそのように呼ぶのは正しくない。
本当の村八分とは
『地域の生活における十の共同行為のうち、葬式の世話と火事の消火活動という、放置すると他の人間に迷惑のかかる場合(二分)以外の一切の交流を絶つことをいうもの』
である。
残る八の共同行為は、成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行であり、これが『八分』となる。
※諸説あり
葬式の世話が除外されるのは、死体を放置すると腐臭が漂い、また疫病の原因となるためとされ、また死ねば生きた人間からは裁けないという思想の現れ。
火事の消火活動が除外されるのは、他の家への延焼を防ぐため。
これは、江戸期の村落共同体において重要な機能だった。
だが、今回の天理市の件では、この『葬式の世話』すらされていない。
つまり、天理市で行われた事は、江戸期のムラ以下、ということだ。
明治以降は、人権を侵害し法に反するものと認識され、1909年の大審院判決で、村八分の通告などは脅迫あるいは名誉毀損とされているにも関わらず、である。
平成の村八分
近年の村八分事件で有名なのは、
・三里塚闘争(成田空港問題を巡り、立場が異なる住民に対して行われた)
・大分県北部における村八分騒動(関西からのUターン就農者に対し行われた)
今回の天理市の件は、ここに続くだろう。
都会を離れ、自然豊かな集落で暮らすのは夢があるが、自然が残っているという事は、古くからの因習も、共に残っていると思った方が良さそうだ。
家を建てる前から通い、どのような土地なのかをよく知り、顔を通しておくのは、面倒でも大切、ということなのだろうか。