引退の川口能活、もう一度サッカー人生を歩むなら、ポジションは…
今季限りで現役を引退するJ3相模原の元日本代表GK川口能活(43)が14日、相模原市役所で会見を行った。
子供の頃に初めて見た試合で、ゴールを守っていた彼。
ゴールの神様に見えたあの人の試合が、もうすぐ見られなくなる。
初めて見たプロのサッカー
Jリーグ開幕の年。
子供だった私が、初めて見たプロのサッカーの試合で、ゴールを守っていたのが、川口能活だった。
後ろの方の席だったはずなのに、そこから見た川口は、すごく大きく見えた。
ワールドカップで日本代表が活躍し、年々盛り上がっていくが、それでも、Jリーグ開幕の年の熱には至らないと思う。
それは、その頃まだ子供だった私が、熱狂する大人達に埋もれて見上げるばかりだったからかもしれない。
得点を決めた時は歓声が上がるが、セーブしてゴールを守った時には、歓声の後に拍手が残る。
その拍手の中でも、浮かれずに前線に指示を出し、ボールを蹴っていた川口が、クールで、かっこよくてたまらなかった。
あの人がいれば大丈夫、と思った。
それは、大人になった今でも変わらない。
今後は指導者の第一線を、守ってもらいたいと思う。
63社130人の報道陣の前で…
SC相模原でプレーするGK川口能活(43)の引退会見が14日に行われた。
集まったメディアの数は63社130人。
会見前に会見場の様子を関係者に知らされた川口は感謝の涙を流したという。
(引用元 https://www.google.co.jp/amp/s/web.gekisaka.jp/news/amp/%3f259213-259213-fl)
「いまは感謝の気持ちしかない」
と涙ぐみながら話し出し、引退を決断した理由について、
「ロシアW杯や各カテゴリーの代表の戦いをみて、僕が代表でプレーしていたときよりも、世界で戦えるようになってきた。違った形でサッカーに貢献したいと思った」
と明かした。
(引用元 https://www.google.co.jp/amp/news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/15594459/ 以下、斜体部分も同様)
川口能活のプロフィール
川口能活(かわぐち・よしかつ)
1975(昭和50)年8月15日生まれ、43歳。静岡・富士市出身。
1メートル80、77キロ。
名門・清水商高(現清水桜が丘)時代は、3年時の高校選手権(94年度)では、静岡県予選から11試合無失点という記録を打ち立て、優勝に貢献。同年に加入した横浜Mでは、プロ2年目から定位置を確保し、年間優勝を経験。新人王を受賞した。
2001年には、イングランド2部のポーツマスに加入し、日本人GKでは初めて欧州挑戦。同ポジションのパイオニア的な存在となった。
ノアシェラン(デンマーク)を経て05年に磐田に移籍し、J2岐阜を経て、16年からJ3相模原でプレー。
W杯には98年から4大会連続でメンバーに選出された。
J1通算421試合出場、J2通算43試合出場、J3通算42試合出場。
国際Aマッチ出場は116試合で、GKでは歴代最多。
川口はGKの立場を向上させた功労者である。
もう一度サッカー人生を歩むなら…
「この1、2年プレーを続けるか引退するか、その狭間で揺れていた。サッカーが好きだから続けたい、でも試合に出られない」
と葛藤を明かした川口。現在は、
「やり遂げた気持ちとまだできるという気持ちがある。完全燃焼したかと言えばまだいろいろある。だけど悔いはない。常にベストを尽くしてこの決断に至ったので後悔はしていない」
と心境を語った。
GKというポジションについて
「最後の砦で頼れる存在。不動のメンタルが必要」と語った川口。
もう一度サッカー人生を歩むならどのポジションを選ぶかを問われると
「やっぱりキーパーです。大変なこともあったけど、キーパーの練習が好きでした」
と即答した。